
この世では、毎日たくさんの人が亡くなっています。残酷な時間がテレビで、流れる事もあれば、人知れず家族に見守られて旅立つ方もいらっしゃいます。
皆さんは人の死に対してどのような感情を持っているでしょうか?
今回はこの問題に対して、スピリチュアルの視点から見ていきましょう。
輪廻転生というシステム
さて、これを読んでいる皆さんは少なからずスピリチュアルについてアンテナを貼っている方が多いでしょう。
そんな皆さんなら、輪廻転生と言うものは知ってるでしょう。
まずは下の図を見てください。

私達人間には、1人に1つ、マスターソウルという大きな魂が存在します。
その一部が切り離され、今の私達になり、なくなるとまたマスターソウルの元へと帰り、時が経つと、また新たな部分が切り離され、再び人としてこの世にやってきます。
これが輪廻転生と言うシステムです。
つまり、人として生き、マスターソウルに帰るまでが私達に課せられた任務なわけです。
つまり死とは、魂への帰路の始まりであり、見送る側としては、笑って送り出す事が本来の形であることが想像できます。
ですが、これを理解してしまうと
人の死に対して、涙する事ができるのか
それは人間味がなくなっているのではないか
果たしてそれは人間と呼べるのだろうか?
そんな不安がよぎる方もいるのではないのでしょうか?
筆者もかつて、この問題に直面し、数年考え、克服しました。
次のセクションでは、筆者の体験をもとにこれらの問題から学んだ事をご紹介します。
2人の命から学んだこと

1.友人の死
20歳過ぎのころです。3ヶ月に一度会っていた友人が突如自ら命を断ちました。
友人は生前、平均年収よりも高いお金を稼いでいたが、やりたい事がなくお金をもらうことに意味を感じていませんでした。そして医療関係者であったため、人の死に慣れてしまい、死に対して恐怖も無く生きる意味が見つからないから死を選ぼうかと平然と話していました。
当時の私は、霊的な存在に接触する事が多く輪廻転生について考えを深めている最中で、人が亡くなると自分の気持ちはどう動くのか想像することができない状態でした。
友人の訃報が届いた時、非常に驚いたのですが、なぜか泣くことが出来ませんでした。ですが、知らせが届いた次の瞬間には、棺で眠る友人の元へと足を運んでいました。
実際に友人の遺体を目の前にした時もやはり涙は出ず、生前にかけた自分の言葉が違ければこの結果は回避できたのではないか、また自分が実際にかけた言葉が、友人の死の後押しをしてしまったのではないか
そんな考えが頭をよぎりました。
すると霊となった友人が、目の前に現れ
お前のせいじゃないよ、自分で選んだ事だから!相談乗ってくれてありがとな!でもやっぱり死んだのはミスったわ!くそぉー!まあしゃあないか!
そんな友人らしい言葉を発して、自分の前から消えていきました。
その言葉を聞いた私は、友人が生きていた頃のように、そっか、次頑張れよ!またな!
と、友人の旅立ちを清々しい気持ちで送り出しました。
やはり旅立ちは、この様な形で送り出すのがお互いのためかもしれないと、実感したと同時に
泣けるほど濃い時間を築けなかった事を後悔しました。
人が亡くなると泣けないのではないかと言う、不安は普段の関わり方が浅いが故に起きる事なんです。常に全力で関わっていれば、泣かないと言う結果は同じだったしても、不安に繋がるはずが無いのです。
だからこそ、今関わっている人間が生きてるうちに、後悔ないほど全力で交わるべきなのです。
それが友人の死が私に教えてくれた
命からのプレゼントでした。
2.祖父の死
友人の死から6年ほど経ったころ、私の祖父が突如亡くなりました。友人の死から、関わり方を学んだ私は、日々強くコミュニケーションを取ること意識して生活していました。
私は運良く祖父の最期を看取ることができ、旅立った瞬間、今度は逆に涙が止まりませんでした。
ですが、心に後悔はありませんでした。自分がここに誕生したのは祖父をはじめとする先祖の存在あってこそです。
そこに対して、命を繋いでくれてありがとう。そして今まで多くの愛を伝えてくれてありがとう。あなたのしてくれたことを、下の世代へ伝えいきます。そんな気持ちになり、私が流した涙は
祖父の命への敬意からだった。
その思いに気付かされたのです。
突如として、人生の終わりを迎えた祖父はその後一週間ほど霊体としてさまよっていましたが、最終的に私が祖父の魂と会話をする事により死を自覚して、清々しい顔をして旅立って行きました。
祖父の死は
命を繋ぐ事は敬意に値する事に繋がる事であり
命や死について考えることはより輝く人間へ繋がることである事。
そんな命のプレゼントでした。
まとめ

スピリチュアルを学んでいくと、時に人間味のない概念を学ぶ様に見えることがあり、実生活の価値観の変化に不安を持つことが必ずあります。
ですが、そこについて思考することが大切なのです。自らの不安に蓋をして、無かったことにしないでください。
今日も世界のどこかで、誰かが亡くなっています。そんな中、あなたは今生きています。中途半端に生きる事は、生きたくても生きれなかった人への冒涜です。
誰かの命が終わることで、自分が当たり前に生きている事が、どれだけ価値のあることなのか改めて理解できるはずです。どうか彼らの命のメッセージを無駄にしないでください。生きているというのは、当たり前ではないのです。
時に悲惨なニュースに心を痛める事もあるでしょう。
うわ、何でそんなことするんだろう、可哀想に😢
そんな表面的な感情で、終わらせないでください。顔も名前も知らない誰かの命をみんなで背負っているんです。
旅立った命に敬意を払い、懸命に自分の人生を全うする。
どうか後悔のない、素晴らしい人生にしてください😊